昭和xx年に本館地下道場から移設した小川町校舎五階柔道場では、1964年の東京オリンピックに臨む日本選手が強化合宿を行った場所でもあります。またミュンヘンオリンピック前は各国から重量級の選手が集い、ライバルが見守る中で稽古を重ねた歴史ある柔道場でした。教室を改造した造りはユニークで、入口左奥には通称「四畳半」と呼ぶスペースがあり、天井から干した柔道着が吊るされた下は怪我をした選手のトレーニング場所でもあった。
明柔会 渡辺政雄会長、百瀬恵夫柔道部長、関勝治幹事
平成15年(2003年)10月7日、小川町校舎取り壊しに伴い、お別れ会が催された
曽根康治と神永昭夫
東京オリンピック前の明大道場における全日本合宿の風景
最上列右の写真中、時計の左側に東京オリンピックのポスターが掲げてある
1988年7月の稽古風景 石田輝也、吉田秀彦、小川直也の投げ込み
姿節雄師範による大内刈りの指導
姿節雄師範による寝技の指導
昭和33年の全日本学生優勝大会優勝
前列左から、湯浅久雄、小林健児、徳山操、甲斐福男、富賀見真典、比嘉良幸、重松正成
後列左から、姿節雄、三船久蔵師範、小川登志雄、神永昭夫
写真左奥に、神田和夫、工藤欣一、曽根康治の姿も映っている
曽根康治と神永昭夫
祝辞を述べる百瀬恵夫柔道部々長 平成13年全日本学生優勝大会優勝
昭和33年5月曽根康治OBが全日本選手権獲得後初めて柔道場に稽古に来た際の記念写真
前列左の背広姿が八島輝徳、その右から姿節夫師範、曽根康治、葉山三郎(背広姿)
取り壊し工事着手